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東京高等裁判所 平成7年(う)1135号 判決 1996年12月11日

主文

本件控訴を棄却する。

差戻前控訴審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人紺野稔、同大石宏、同萩原太郎、同古川善博及び同秋田徹連名作成名義の控訴趣意書及び弁論要旨に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官溝口昭治作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

第一  本件審理の経過

本件公訴事実の要旨は、「被告人は、衆議院議員で同院商工委員会(以下「商工委員会」という。)の委員であったものであるが、昭和五七年八月五日ころ(以下、昭和五七年については、年の記載を省略する。)、東京都千代田区永田町所在の衆議院第二議員会館三三九号室の被告人の議員事務室(以下「被告人事務室」という。)及び同町所在の東京ヒルトンホテル(当時)一階の飲食店「源氏」(以下「源氏」という。)において、日本撚糸工業組合連合会(以下「撚糸工連」という。)の理事長OK(以下「O」という。)及び専務理事IS(以下「I」という。)から、八月六日に開かれる商工委員会において、被告人が一般質疑をするに当たり、過剰仮より機共同廃棄事業(以下「本件共廃事業」という。)の実施計画の策定等を所掌する通商産業大臣及び通商産業省(以下「通産省」という。)関係部局の幹部に対し、撚糸工連が望んでいる昭和五七年度の本件共廃事業を早期に実施するとともに、仮より機の買上価格を高額に設定するなど、撚糸工連のため有利な取計いを求める質問(以下「本件質問」という。)をされたい旨の請託を受け、その報酬として供与されるものであることを知りながら、八月五日ころ、飲食店「源氏」において、O及びIの両名から、現金一〇〇万円を八月一〇日ころ、被告人事務室において、右両名から、現金一〇〇万円を、それぞれ収受し、もって、自己の職務に関して収賄した。」というものである。

原判決は、本件公訴事実に副うIの証言(以下「I証言」という。)、Oの検察官調書(以下「O調書」という。)は、二回にわたる現金授受の部分を含め、全体として極めて詳細、具体的で、内容も合理的で自然であり、他の関係証拠とも符合しており、その信用性は高いとし、これと異なる被告人の供述並びに二回目の現金授受があったとされる八月一〇日の行動に関する被告人の供述、H1、U、及びCの各証言は、関係証拠等に照らし、いずれも信用することができないとして、公訴事実と同旨の事実を認定し、被告人を有罪とした。

そして、差戻前控訴審判決は、原判決が依拠するI証言及びO調書は、同人らにおいて検察官に迎合して供述した可能性を否定することができないから、一般的に高度の信用性を認めることができない上、八月五日の現金授受(以下「第一回目の現金授受」という。)の点に関しては、「源氏」が賄賂を供与するには適当な場所と思われないなど、種々の疑問があり、また、八月一〇日の現金授受(以下「第二回目の現金授受」という。)の点に関しても、ゼンセン新聞昭和六一年五月八日付号外記事、被告人の供述、H1、U及びCの各証言に照らし、いずれも信用することができず、本件各現金授受の事実を認定することはできないから、原判決は事実を誤認したものであるとして、これを破棄し、被告人に無罪を言渡した。

これに対し、上告審の最高裁判所第一小法廷は、差戻前控訴審判決の右各証拠に対する評価は、以下の理由により、著しく合理性を欠いて、是認することができず、同判決は、右各証拠の評価を誤った結果、重大な事実誤認の疑いが顕著であり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであって、これを破棄しなければ著しく正義に反するものであるとして、同判決を破棄し、本件を当裁判所に差戻した。

一  I証言及びO調書の内容は、極めて詳細かつ具体的であって、格別不自然、不合理であるとは認められず、多くの部分が、他の証拠により直接裏付けられている。

二  差戻前控訴審判決が、I証言及びO調書について、その信用性に疑問があるとする理由として挙示するところは、以下のとおり、いずれも首肯し難い。

1  同判決が、I及びOにおいて検察官に迎合して供述した可能性を否定することができないとした点については、同人らがそのようなことはない旨証言しているばかりでなく、同人らに対する捜査段階における取調の経緯、I証言の時期等に照らしても、そのような事情は窺えず、他にこれを裏付ける証拠もないから、同判決の右判断は肯認することができない。

2  同判決が、第一回目の現金授受に関するI証言及びO調書の信用性を否定する理由として挙示する点については、<1> 稲村左近四郎衆議院議員(以下「稲村議員」という。)の秘書Mが、稲村議員不在の同議員執務室をIと被告人との打合わせに使うように勧めたとしても、それまでの経緯等からすれば、何ら不自然なことではない。<2> 「源氏」の構造、位置関係からすれば、予約した席は、外部からの人目が気になるような場所ではないことが窺われ、現金授受当時、店内には殆ど客がおらず、現金一〇〇万円は事務用の白無地封筒に入れられ、その授受も短時間に行われたというのであり、O及びIが「源氏」を現金授受の場所としたことが不自然、不合理であると断ずることはできない。<3> O及びIから稲村議員及びMに対する依頼内容等によれば、O及びIが、商工委員会における被告人の質問を重要とは考えていなかったとか、これに多くを期待していなかったとかいうことはできない。<4> O及びIが、撚糸工連にとって有利な質問を依頼する以上、事前に現金を渡した方がよいと考えたとしても、何ら不自然、不合理なことではない。<5> 現金入りの封筒を被告人に手渡す前のOのしぐさが、格別不自然であるとは認められない。

3  同判決が、第二回目の現金授受に関するI証言及びO調書の信用性を否定する理由として挙示する点についても、<1> ゼンセン新聞の記載からすれば、被告人が本件起訴の直後ころから公判供述と同趣旨の弁明をしていたということはいえても、そのことから直ちに右供述が虚偽でないことを示しているとはいえず、その供述内容が真実か否かは別個に検討されるべき事柄である。<2> 被告人、H1及びUは、いずれも、八月一〇日にO及びIが訪ねて来た当時の状況等について、捜査段階においては異なる供述をしていたのであり、公判廷において供述を変更するに至った理由について合理的な説明をしていないこと、被告人、H1及びUは、いずれも、公判廷において、O及びIが訪ねて来た当時、被告人事務室が来客でごった返していた、などとは供述しておらず、来客でごった返していたことを窺わせる証拠も全くないことからすると、被告人が、被告人事務室を訪ねて来たO及びIに対し、廊下に面した入口ドア付近で立ったまま挨拶を受けただけで、そのまま帰ってもらったというのは、O及びIの地位や来訪の経緯等にも鑑みて、誠に不自然であるとの憾を否めないこと、公判廷では現金の授受を否定するに至ったOにおいてすら、議員執務室に入ったことを明確に証言していること、被告人、H1、U及びCは、捜査が終了したころから、八月一〇日の出来事について話合うなどしていたこと、などを総合考慮すると、被告人らが口裏を合わせた可能性を否定できず、公判廷において真に記憶しているところを述べているのか疑わしいといわざるを得ない。<3> FI証言をみると、八月九日と一〇日の出来事を明確に区別した上、両日ともにH1に会っていると具体的に証言しており、その他、同証言に不自然、不合理というべき点はない。<4> E証言についても、その証言内容に照らすと、同人が八月一〇日に被告人事務室を訪ねたことがあったとしても、被告人にCを紹介してもらったのは、同日とは別の機会であったとみることができる。<5> 通産省生活産業局S局長が本件共廃事業の問題につき撚糸工連に有利な答弁をするに至ったについては、稲村議員の発言等が一定の役割を果たしたことは否定できないとしても、Oらの依頼の趣旨に副った被告人の質問が大きな役割を果たしたことは明らかであり、O及びIが被告人に感謝の念を抱いたのは当然のことである。<6> その他、差戻前控訴審判決が第二回目の現金授受に関するI証言及びO調書の信用性を否定する理由として挙げるところは、両供述の些細な違いであるに止まる。

第二  当裁判所の判断

そこで、本件記録及び証拠物を調査、検討し、当審における事実取調の結果をも参酌して、所論の当否について判断する。

一  違法捜査に基づく公訴提起の無効の主張について<省略>

二  調書採用の違法の主張について<省略>

三  証処開示に関する訴訟指揮の違法の主張について<省略>

四  本件の背景となる事情、第一回目の現金授受にかかる謀議、本件の請託等に関する事実誤認の主張について

1  所論は、原判決が、(弁護人らの主張に対する判断)第一の一において、本件の事実認定をする前提として、本件における直接証拠であるI証言、O調書、O証言の信用性等について判断をし、I証言及びO調書の信用性が高く、これと異なるOの証言部分の信用性が低いとしている点について、これを全面的に争う旨主張する。

しかしながら、後記個々の事実関係について具体的に検討、説示するとおり、I証言及びO調書の各内容は、極めて詳細かつ具体的であって、不自然、不合理な点がみられず、その多くの部分が他の証拠により直接裏付けられているものである。すなわち、<1> 本件共廃事業の実施について、通産省関係部局の協議が難航し、O及びIの希望どおりに右事業が実施されるかどうか危惧される状況にあった点については、通産省関係者の各証言により、<2> IがOと連絡をとった上、Mから被告人の紹介を受け、被告人が質問依頼に対して好意的に対応してくれたことから、事前に被告人に渡す謝礼の額をMに相談し、一〇〇万円が適当であるとの示唆を受けた点については、Mの検察官調書(以下「M調書」という。)等により、<3> O及びIが被告人に対し請託した点は、撚糸工連主催のパーティでの被告人の挨拶を録音したカセットテープ等により、<4> 八月六日の商工委員会での一般質疑において、被告人がOらの依頼の趣旨に副った質問をし、S局長から前向きの答弁を引出した点については、質疑用原稿、商工委員会議録、通産省関係者の各証言等により、それぞれ裏付けられているほか、現金授受に関する供述部分についても、Iらが供述する裏金が当時存在していたことは、D証言等により裏付けられているところである。したがって、I証言及びO調書は、全体として、信用性が高く、これと異なるO証言は、右I証言及びO調書とも対比して、信用性が低いと結論付けた原判決の判断は正当であるといわなければならない。

2  所論は、原判決が(認定事実)第二の二3において認定した本件共廃事業の進捗状況に関する事実関係を争う旨主張する。

しかしながら、原判決の右事実認定は、(弁護人らの主張に対する判断)第一の二において説示するところをも含め、これを正当として是認することができるものであるが、以下の点を補足する。

(一) 所論は、七月二九日ころ、通産省生活産業局原料紡績課(以下「原紡課」という。)と中小企業庁計画部計画課(以下「計画課」という。)との間において、本件共廃事業実施の基本的な合意が成立し、その後の段階における両課間の協議の中心は、買上価格に関するものとなったところ、この段階では、既に両課の間で、本件共廃事業実施の必要性が確認され、設備廃棄の規模も決定されていたのであるから、買上価格については、同事業の効果的な実施という観点から、政策的弾力的に決せられるものとなっており、また予算上それが可能であったのであって、両課は、そのことを当然の前提として、専ら、買上価格に関する中小企業庁長官通達の解釈に関し、同通達の但書の適用等による対応も当然に考慮しつつ、順調に協議を進めていたものであり、右の事実は、計画課のT2課長、T3課長補佐の各証言によって認められ、また、S局長の証言やO証言によっても裏付けられているところであるにもかかわらず、原判決は、これらの証言を無視し、弁護人の主張が計画課側関係者の証言等の関係証拠に矛盾するものであると説示しているのであって、その判断は失当である旨主張する。

しかしながら、T2証言は、「七月二九日の合意は、あくまでも、買上台数の合意であり、事実実施の必要性を認めたものであるに止まり、この時点では、買上価格については、本格的な議論は何らされておらず、その方向性すら一切出ていなかった。買上価格について協議が成立しなければ、もとより事業は実施できない。本件では、買上価格について、前回並みを確保したいとの撚糸工連の要望を受けて、原紡課からは、当初より、再調達価格を基準とする方式が示されていたが、これに対し、計画課は、簿価を基準とするのを原則とする中小企業庁長官通達との関係等から、原紡課の示すところは受入れ難く、簿価を基準として考えざるを得ないとの基本的な立場に立っていた。八月初旬以降の協議の過程において、計画課としては、種々の算定方式の得失を具体的に比較検討した結果、簿価に改造費を加味して推定簿価とする方式を基礎に議論することは可能と判断し、そこに政策的な判断を加味して、前回より五パーセント程度低い価格を最終的に設定し、これを本件における買上価格として、原紡課と合意するに至ったものである。計画課として、当初からそのような腹案を持っていたものではない」旨のものである。

右T2証言は、それ自体、極めて明確なものである上、協議に関与したS局長、原紡課のT4課長、T5課長補佐、T6加工糸係長、計画課のT3課長補佐、T7企画係長等、関係者の各供述(原審証言ないし検察官調書)と相互に合致しているものであるほか、協議の過程で作成された関係文書の記載にも裏付けられているところであって、右関係者の各供述(原審証言ないし検察官調書)とともに、十分に信用することのできるものであるところ、右T2証言のほか、関係者の各供述に加えて、関係証拠により認められるところの当時の状況、とりわけ、<1> 七月二九日の合意の後、原紡課においては、本件質問の想定問答を準備した際、買上価格について、当初の原紡課の案が今後検討してまいりたいというものであったのを、計画課の意見を容れて、「十分慎重に検討してまいりたい」と修正するなどしていること、<2> しかるに、S局長が本件質問に対し、買上価格については、「前回の価格がどうであったかということも頭に入れながら、御指摘の点について十分慎重に検討してまいりたいと思っております」と答弁したことについて、両課の関係者は、一様に、事前に準備した答弁内容よりも、明らかに一歩踏込んだ内容のものであると受け止めていること、<3> S局長の右答弁以降、T4課長以下の原紡課担当者は、右答弁を念頭に置いて計画課との協議に臨み、さらに、八月半ばころには、S局長が自ら、中小企業庁長官に電話し、作業の促進についての配慮方を要請していること、<4> その後、同月二〇日ころ原紡課のT4課長が計画課のT2課長と直接交渉するなどした結果、協議に入り、ほぼ一か月を経た同月二五日ころ、両課の間で、買上価格についての合意に達したこと、などの経緯を考え併せると、七月二九日に両課の間に買上台数にかかる合意が成立したとはいえ、最大の懸案の一つであった買上価格の問題等については、なお爾後の両課の協議、検討に委ねられていたのであり、それに伴い昭和五七年度中に事業を実施できるかどうか依然明らかではないなど、本件共廃事業が、前回並みの買上価格による年内実施という撚糸工連の希望に副って行われるかどうかは、なお予断を許さない状況にあった、と判断した原判決の認定は正当であるといわなければならない。

所論指摘のT2証言は、協議を通じて合意の得られることを期待したという当然のことを述べたものにすぎないものであり、もとより所論を根拠付けるものではなく、T3証言、S証言も、同様に、所論を根拠付けるものでないことが明らかであり、また、所論指摘のO証言は、T2証言や当時の状況等とも対比して、措信することができないものであって、原判決の認定説示には、何ら誤りはないから、所論は採用することができない。

(二) 所論は、福井県撚糸工業組合(以下「福井県工組」という。)においては、撚糸工連の指示に従い、七月二七日に仮より業者に対し買上手続の詳細を説明した上、そのころより本申込みの受付をして正式の売買契約書を作成し、併せて保証金も徴収するなどの作業を進めており、また、福井県においても、本件共廃事業の実施に伴う所要資金の一部県費負担分について、同県商工労働部繊維課では、前回並みの価格を積算の基準にして、九月県議会に提出する補正予算の編成作業を進め、七月三一日までに予算要求書、説明書等の必要書類を作成し、所管課である総務部財政課に回付していたのであって、このような一連の作業は、単なる予測だけで行われるものでなく、福井県工組の説明や関係資料を検討し、関係省庁や主要産地である石川県等にも問合わせて、買上価格の前回並みの決着や年内代金支払等を確認したからこそ行ったものであって、これらの作業が進められていたという事実は、中央における本件共廃事業の作業が順調に進んでいたことの証左であることが明らかというべきであり、それにもかかわらず、原判決が、右一連の作業の進展について、福井県工組や同県担当者において撚糸工連の希望に従い、単なる予測に基づいて行った措置であるにすぎないと判示し、さらには、O及びIをして危機感を抱かせる一因とすらなっていたなどと判示するのは、短絡的であり、産地の実情を無視したものであって失当である旨主張する。

関係証拠によれば、所論指摘のとおり、福井県工組においては、撚糸工連の指導を受けつつ、一月ころから、数次にわたり組合員からの仮申込の受付を行い、その際買上価格は少なくとも前回並みとして手続を進めており、七月二七日には、買上説明会を開催して、出席した業者に対し売買契約書の買上価格欄には前回並みの価格を記入するよう指導し、そのころより、買上希望者とその旨の売買契約書を取交わし、保証金も徴収するなどの作業を進めていたこと、その間の六月二三日に福井市内で開催された北陸三県加工糸対策協議会における撚糸工連側の説明に関し、福井県工組の業務課長が、「本申込は七月一〇日より実施、買上価格は前回並み」とのメモを残していたこと、また、福井県においても、撚糸工連や福井県工組の度重なる要請を受けて、商工労働部繊維課が、同県の撚糸業界の実情を考慮し、石川県繊維課等とも情報を交換しつつ、七月中には既に、前回並みの買上価格を前提とした本件共廃事業関係の予算を九月補正予算に計上するよう要求し、総務部長査定段階までは認められなかったものの、知事査定では復活し、結局、九月補正予算に、前回並みの買上価格を前提とした本件関係の予算が計上されたこと、などの事実が認められる。

しかしながら、この点に関するI証言、加藤敏雄(福井県工組専務理事)及び多田井藤夫(福井県商工労働部繊維課長)の各証言等を総合すると、撚糸工連においては、少なくとも前回並みの買上価格による年内実施を実現することを、基本的な方針とし、各県工組や業者に対するいわば公約としていたところ、中央における買上価格等の決定が難航したため、七月ころには、その実現が強く危惧され、執行部の責任も問われかねない事態に立ち至っていたのであるが、一方、各県工組段階での事務手続にも相当の時間を要するので、撚糸工連としては、中央での買上価格等の速やかな決定に努力することと並行して、各県工組との関係で、業者らの信頼をつなぎとめつつ事務手続を早急に進める必要があったため、各県工組に対して、前回並みの買上価格を前提とした作業を進めるよう指示し、福井県工組においても、撚糸工連の右指示に従い、所要の作業を進めた、という経緯を認めることができるとともに、福井県の担当者においては、同県における仮より糸製造業の重要性等にも鑑みて、本件共廃事業が昭和五七年に実施されることを一応予測し、かかる判断のもとに予算措置を講じたものであり、その際、買上価格については、前回並みに決定するかどうかは未定であるが、一応の金額として前回並みに組んでおけば、事業実施上支障がないであろうという判断に立っていたものであることが認められるところである。そうすると、福井県工組における前記作業の状況及び福井県における前記予算措置の状況をもって、中央における本件共廃事業の作業が順調に進んでいたことの証左であるとする所論は、これを採用することができない。

3  所論は、原判決が(認定事実)第三の三2ないし6において認定した贈賄の謀議等に関する事実を全面的に争う旨主張する。

しかしながら、原判決は、右の事実認定に関し、(弁護人らの主張に対する判断)第一の三において説示しているところであり、原判決の事実認定は、右説示するところをも含め、これを正当として是認することができるものであるが、以下の点を補足する。

(一) 所論は、Mが、被告人が商工委員会で合繊不況問題について質問する旨八月上旬ころに聞知したという事実は存しないのであり、原判決が右の事実を認定する根拠としたM調書は、本件質問の行われる旨を聞知した経緯において、著しく曖昧で具体性を欠いており、それは、検察官からIの供述を引合いにして執拗に追及されたMが、Iの供述と辻褄を合わせようとして、種々憶測して供述したものであって、信用性がなく、これに基づいた原判決の事実認定は誤りである旨主張する。

本件質問の行われる旨を聞知した経緯についてのM調書の供述記載をみると、昭和六一年四月一八日付調書(一三丁のもの)は、「右聞知した経緯について、今一つ定かな記憶がない。しかし、隣室を訪ねたか便所で顔を会わせた際、被告人から直接聞いたのではないかと思う。被告人が、福井訛で『今度の商工で質問するでよう。産地の繊維が不況でよう』という趣旨を言った気がする」というものであり、同月二二日付調書は、「右聞知した経過については、今一つ自信がない。廊下で会った時か便所で会った時に被告人から聞いたように思うが、あるいは、商工委員会委員部で知ったかもしれない。検察官の話では遅くとも七月三一日の時点で八月六日に商工委員会で被告人が質問に立つことが決まっていたそうだ。とすれば、商工委員である稲村議員も、その頃にはそのことを知っていたと思う。同議員からその旨を聞いたかどうかは、自信がない」というものであり、同月三〇日付調書(抄本)は、「右聞知したのは、八月六日の数日前ころであるが、その経緯について、今一つはっきりしない。隣室を訪ねたか便所で顔を会わせた際、被告人が、『今度の商工で質問するでよう。産地の繊維が不況でよう』という趣旨を言ったように思うが、他方、商工委員会に顔を出した際、委員部の職員から聞いたようにも思う」というものである。

Mのこれら供述するところは、所論指摘のとおり、曖昧で具体性に乏しいものであることは否定することができない。しかしながら、同人は、本件質問が八月上旬ころに行われる旨を聞知したとの限度では、一貫した供述をしているのであり、同人の経歴、当時の立場、本件質問が決まった時期等に徴すると、同人がそのころに右のように聞知するというのは、極く自然なことであって、同人自身、原審公判廷において、この点について、検察官から押付けられたことや、執拗に追及されたことなどはなかった旨、繰返し明確に証言しているところである。一方、Mが右情報を聞知した後、これをIに伝えるまでの一連の経緯については、Iらによる本件請託・贈賄の発端ともなる経緯にほかならず、そこに稲村議員がどのように関与していたかは、当然に捜査の対象となるところであるが、この点に関して、Mは、昭和六一年四月一八日付調書(一三丁のもの)では、右の経緯に同議員は関与しておらず、すべてM自身の判断で処理した可能性がある旨の供述をし、同月二二日付調書では、Iに伝える前に同議員から聞いたかどうかは明確でないが、Iに伝えた後、同議員に報告して事後承諾を得た旨の供述をし、同月三〇日付調書(抄本)では、事前に同議員との間で話合い、その了解を得た上でIに伝えた旨の供述をするに至っている。このような供述内容に、供述当時の状況、すなわち、被告人と同議員に関する本件収賄容疑が連日大々的に報道され、既に両名が事情聴取を受けていた状況をも考え併せるならば、Mにおいて、とりわけ同議員の関与に関して、事柄の重大性を十分に意識しつつ慎重に言葉を選んで供述していることが、容易に看取されるところというべきである。そうすると、本件質問の行われる旨を聞知した経緯に関する同人の記憶が、供述当時真実曖昧なものであったかどうかは、甚だ疑わしいものといわなければならず、いわんや所論が主張するような経過により供述がなされたとは、とうてい考えられないのであって、M調書は、原判決が認定した事実を根拠付けるものとして、十分に信用できるものというべきであるから、所論は採用することができない。

(二) 所論は、Mが、八月三日ころ、Iに電話で、被告人が商工委員会で合繊不況問題について質問する旨伝えるとともに、懸案の本件共廃事業の件も質問してもらったらどうか、よろしければ被告人を紹介するなどと話したという事実は存しない旨主張し、原判決が右の事実を認定する根拠としたM調書には、八月三日ころ、Iに電話で、被告人が商工委員会で合繊不況問題について質問する旨伝えた旨の供述記載は存するけれども、「その際それとともに、懸案の本件共廃事業の件も質問してもらったらどうか、よろしければ被告人を紹介するなどと話した」旨の供述記載は存せず、むしろ、M調書には、「本件共廃事業の問題に関して、国会質疑で取上げるのは通産省当局との信頼関係を損なうことになり得策でない、通産省当局に対し直接働き掛ける方が効果的であり、それで成算がある、との判断に立って、稲村議員に国会質問をしないよう諫め、同議員と共に通産当局に対する直接の働き掛けを行っていた」「野党議員である被告人の国会質問は役に立たないと考えていた」旨の供述記載が存するのであり、Mは原審公判廷においても同旨の証言をしており、そのように判断していた同人が、Iらに対し、「本件共廃事業の件も被告人に商工委員会で質問してもらったらどうか、よろしければ被告人を紹介する」などと提言する筈がなく、この点についての原判決の認定は誤りである旨主張する。

しかしながら、MのIに対する電話連絡の内容についても、I証言及びO調書の信用できることは、原判決が説示するとおりであり、右信用できるI証言及びO調書と関係証拠を総合して行った原判決の事実認定に誤りはない。M調書中に、「Iに対する電話連絡の中でMが、懸案の本件共廃事業の件も質問してもらったらどうか、よろしければ被告人を紹介する旨話した」との供述記載が存しないことは、所論指摘のとおりであるが、この点は、Mからその旨の電話連絡を受けて、直ちにその旨をOに伝えたと明言するI証言及びこれに符号するO調書があり、このI証言及びO調書は十分に信用できるものである。また、M調書中には、Mの国会質疑等に関する判断として、被告人の質問が役に立たないと考えていたという点を除いて、概ね、所論指摘の供述記載が存するけれども、たとえMがそのように判断していたとしても、そのことが、稲村議員に対してではなく、被告人に対して質問をさせてみてはどうか、とO及びIに提言することと、格別矛盾するものではなく、原判決認定の妨げになる事由に当たるものではないから、所論は採用することができない。

(三) 所論は、IがMから賄賂金額の教示を受けたという事実は存しないとして、<1> 検察官の取調状況に関するM証言を根拠に、Iに賄賂金額を教示した旨のM調書の信用性を論難するが、取調状況に関する右M証言の信用できないことは、原判決が説示するとおりであり、<2> IがMから賄賂金額の教示を受けた状況に関するI証言とM調書を対比し、その間に相違点があるとしてI証言の信用性を争うが、右相違点は、I証言の信用性を否定する根拠となるものではなく、<3> O証言を根拠に、Iとの電話の中で、被告人に対比する請託と贈賄を共謀するとともに賄賂金額をMに相談するよう指示した旨のO調書の信用性を争うが、この点に関するO証言の信用できないこともまた、原判決が説示するとおりであるから、いずれにしても、所論は採用することができない。

(四) 所論は、撚糸工連は、前二回の共廃事業に続いて本件共廃事業についても、当初から稲村議員の政治力に期待しており、その他の問題もすべて自民党議員に依存してきたにもかかわらず、O及びIが、電話で、これらの点に関する配慮につき特段話題にすることもなく簡単に、野党議員たる被告人に現金を供与してまで国会質問を請託する旨共謀するなどということは、そもそもあり得ないことであるところ、この点について原判決は、O及びIは、被告人による質問は稲村議員の根回しによるものであり、被告人に対する質問の請託は同議員の勧めによるものと理解していたものであり、右のごとき共謀を遂げることが不自然、不合理なものではないと認定しているのであるが、かかる原判決の認定は、首肯するに足りる根拠を欠くものである旨主張する。

しかしながら、この点に関するI証言及びO調書をみると、Iは、「八月初めころ、稲村先生の秘書をしておられたMさんから電話で、八月六日に横手先生が商工委員会で合繊不況などで質問されますと、そのときにIさんのほうでも、難航しておる仮よりの問題をあわせて質問してもらったらどうでしょうかと、必要があればご紹介しますよ、というような内容のお電話をちょうだいし」、「(Mは、右電話の当時、本件共廃事業が難航しており、それが撚糸工連の懸案となっていたことを)承知しておられたと思います。……Mさんのところには撚糸連合会が行なっておりますいろいろな事業については折に触れご報告はいたしておりましたし、特に仮よりの問題についても進み具合というものを情報としてMさんにも報告しており、あるいは問題点についてはどのような解決方法をとったらいいか、というようなことについても常時ご相談を申し上げておったということから承知されておったと考えたわけです」、「Mさんとは頻繁に意見交換をいたしておりましたので、いろいろな場合を想定して多種多様な論議をいたしておったと思います。……例えばということであれば、稲村先生からS局長さんに対して早く実現方をするようにというようにお願いをしていただければありがたいなとか、あるいは先程申し上げました(商工)委員会等の場において論議していただくのも一つの方法かとか、そんなようなことをいろいろと相談し、あるいは助言をいただいていると、……」、「(一月の正副理事長会議の前後ころに)Mさんのほうには、連合会として、このような動きをしておりますと、……状況報告かたがた、やはりお力添えをお願い申し上げておりました。……(Mに話しておくと稲村議員に)必要な事柄は伝えていただけるというふうに考えておりました。……(Mの言動なりから撚糸工連の要望は同議員に伝わっていると)そのように受け取っておりました」、「(三月末ころまでの時期は)主として、私共が行なっておる内部の進め方とか、それから、原料紡績課に対する、こういうことをお願いしておるというような経過報告的なものが多かったと思っております」、「六月下旬から七月上旬にかけては、……Mさんから、これは稲村先生のお力もお借りして行政庁の動きをより一層活発化し、前回並み年内支払ということが可能になるように、ひとつ御尽力をお願いしたいというようなことをお願い申し上げておりました」、「七月にはいってからは、報告というよりもやはり事態が進んでなくて困っておりますと、何とか打開して欲しいと、……Mさんには何回となく、要するに、Sさんに動いてもらうように、ひとつしてもらいたいと、……何回かお願いは申し上げております。……やはり、稲村先生のほうからも、Sさんに、連合会のOが言っているようなことについて、ひとつ実現するようにしてやってくれというように言っていただけませんでしょうかというようなことも、Mさんには、私はお願いをいたしておったわけです。……じゃ、商工委員会ででも一回やってみますかねと、……こうなったら公の場で一回(S局長の)言質をとるようなことでもやらなければしょうがないでしょうかなというような話であったと思っております。……(質問者としては)やはり稲村先生なり、あるいは、自民党の先生方を頭においておったのではないかと思っております。……(このころ稲村議員と直接話したこともあるが、同議員は)M君によく話をしておきなさいというようなお言葉だったと思っております」などと供述しているところである。また、Oは、「I専務らに任せて事務局サイドを中心にやっているだけではだめだ、やはり理事長である自分が表に立って大所高所から通産省に対して仮より機の設廃事業の必要性を訴えていかなければならない、と考えるようになったのです。それが五七年の二~三月頃のことです。……こうして私は五七年三月末にS生活産業局長を訪問し陳情しました。……(その)直後頃に稲村先生に、先生もご承知のとおり今の不況は大変なものです。仮より業界では何としても今年中に設廃事業を実施しないとこの不況から脱出できません。今、通産省にお願いしているんですが、なかなか思うようにいきません。このままでは、今年中に設廃事業をするのは難しいようです。それでは仮より業界は崩壊してしまいますので、何とか先生のお力におすがりして設廃事業をやりたいんです、先生の方で商工委員会でこの問題を取り上げて、通産や中企庁の尻を叩くようにして下さいよ、通産や中企庁の役人にも先生の方から声をかけておいて下さいよ、と言って頼みました。……稲村先生は、よし判った、わしに任せとけ、と言って引受けてくれました……(七月初め頃には)もう少しで目処がつくのだから稲村先生にあとひと頑張りしてもらうようにお願いしようと考えたわけです。……七月中に二度に亘って議員会館を訪ね、……稲村先生にお会いして私は、……通産は、大体了解してくれたので、中企庁の方の尻を叩くようにしてくれませんか、S局長から中企庁にうまく話をすれば早くまとまると思いますので、先生の方で何とかお願いしますよ、商工委員会で取り上げて急がせるわけにはいきませんか、商工委員会で誰か他の先生が繊維業界の問題をやるようなときがあれば稲村先生の方からその先生に設廃事業の件をお願いしておいて下さいよ、というようなお願いをしました。それに対して稲村先生は、ちゃんと今年中に金が出るようにしてあげるから心配するな、商工委員会ではどうなるか判らんが、誰か取り上げるようなときにはこの設廃事業の問題も頼んでおいてやるよ、俺に任せておけ、と言ってくれました……」などと供述しているところである。このような内容のI証言及びO調書は、相互に合致するとともに、前記2において説示した本件共廃事業の進捗状況と整合し、かかる客観的状況下における撚糸工連幹部たる両名の心境の推移が如実にあらわれているものである。そして、同人らは、このような経緯で、Mから前記の電話連絡を受けたことから、被告人による本件質問は稲村議員のそれなりの根回しによるものであり、被告人に対する質問の請託は同議員の勧めによるものと理解した旨供述しているのであるから、同人らの供述は、右のように理解したとする根拠において、客観的事情により裏付けられ、かつ、十分な合理性を有するものであって、この点に関するI証言及びO調書は、いずれも、高い信用性を有するものであり、M調書についても、右I証言及びO調書の内容と合致する限度では、これを信用することができるものといわなければならない。

そうすると、原判決が、O及びIは被告人に本件の請託をすることが稲村議員の勧めによるものと理解しており、右両名が前記電話で本件の請託の共謀を遂げた旨認定した点については、何ら事実誤認はないから、所論は採用することができない。

(五) 所論は、仮に被告人に請託してみても、平素疎遠な野党議員の被告人がどう対応するかは、IやOにとって全く不明であった筈であり、殊にOは、かつてその経営会社とゼンセン同盟との間で紛争が生じた際、ゼンセン同盟に寄附を申出て拒否された経験があるから、ゼンセン同盟出身の被告人に金員を提供しても受領を拒否されるのではないかとの危惧を有していたものと考えられるにもかかわらず、IとOがMから電話連絡を受けた当初から、被告人に対する謝礼の相談をしたり、Mに相談したりするなどは、考え難いとろである旨主張するが、前示のとおり、I及びOは、Mから連絡を受けた際、稲村議員において相応の根回しがなされた上での話であろうと受止めていたものであることが認められるから、所論は採用することができない。

(六) 所論は、被告人に請託して贈賄する日に関して、I及びOが、八月三日ころの一度の電話で、被告人の都合も聞かないまま一方的に同月五日夜に予定することは、不自然である上、同人らが真実切迫した危機的な事態にあって、これを打開するために被告人に請託しようというのなら、質問の前夜である同日夜に予定することも、不自然であるほか、同日夜の請託と贈賄の席にOが遅参したというのも、切迫した危機を打開しようと贈賄までも謀議した人間の行動として、不自然である旨主張する。

しかしながら、原判決の認定するとおり、同月三日ころのMからの電話で、同月六日の本件質問予定を知らされて、質問依頼を勧められたIは、直ちに石川県小松市にいたOに電話をかけて、その旨を伝え、Oは即座に、効果的な国会質問を確実に実現するべく、O自らが出向いて被告人に請託と贈賄をする旨Iと共謀し、これを同月五日夜に予定した上、Iに対し、速やかに被告人と接触し、質問依頼とOを交えた会食の設定方を指示し、Iは、折返しMに電話して、被告人の紹介方を依頼し、翌四日にはMの紹介により被告人と面談し、質問依頼をするとともに、Oを交えた会食を翌五日夜に持つことで被告人の了解を取付けたという経緯が認められる。そして、O及びIの間で被告人との会食を五日に予定したのは、被告人の日程を確認する前に一応予定しておいた上で、速やかに被告人と接触してその了解を取付けようという趣旨であり、現にそのとおり実現しているのであって、その経緯に別段不自然な点はなく、会食が五日夜になったのも、会食にOが遅参したのも、O供述等の関係証拠によれば、同人は、他に所用があり遅参せざるを得なかったが、是非とも被告人に直接会って質問を依頼したいと考え、事前にIを通じて遅参することを被告人に説明した上、わざわざ大阪から飛行機で上京しているというのである以上、やはり不自然な経緯ということはできない。原判決の認定した右の経緯は、むしろ、前示のとおり事態を焦慮していたI及びOが、数日後に迫った本件質問を聞知して、事態を打開する好機と捉え、この機を失することのないよう可能な限り速やかな対応に努めた様子を、如実に示すものというべきであるから、所論は採用することができない。

(七) 所論は、Iが八月四日に被告人事務室を訪ねたのは、被告人の要請に応じ、本件共廃事業の進捗状況につき事情説明(レクチュア)をしたにすぎず、本件質問を依頼する陳情をしたものではないとして、種々の主張をする。

(1) 所論は、被告人は、国会質問をする際には、従来、事前に関係業者団体からレクチュアを受けるなどして調査することにしており、本件質問に際しても、繊維産業の不況対策について、七月二七日、産地の業者団体及び撚糸工連に連絡をとってレクチュアを要請し、同月三〇日、産地の業者団体を訪ねて事情聴取をした上、八月三日、具体的な質問事項を取決めて通産省の政府委員室に通告するとともに、撚糸工連にレクチュアに来るよう再度要請し、同月四日、Iが被告人を来訪したとの経緯があるとし、右の経緯は、同日のIの来訪が被告人のレクチュア要請に応じたのであることを示すものである旨主張するが、所論の経緯を前提としても、右の経緯は、既に説示したところの、Mから連絡を受けたIが、Oと相談の上、被告人に本件共廃事業を質問するよう依頼するために、この日被告人を訪ねたという経緯と、矛盾することではなく、むしろ両立するというべきものである。

(2) 所論は、八月四日、来訪したIが、「仮よりのことで質問していただけるそうで」と言って初体面の挨拶をしたので、被告人としては、Iが被告人の要請に応じ撚糸工連を代表してレクチュアのために来訪したものと理解し、撚糸についは本件共廃事業を中心に質問することを話し、質問内容の構想を説明すると、Iは「ご理解をいただいてありがとうございます」と言いながら、原糸メーカーの内製化問題が業界で憂慮されている旨の説明をしたが、被告人は、Iの説明のうちPOY-DTYの知識がなかったので、内製化に関する資料があれば届けるように依頼し、その時来客があったため、同日は短時間で事情聴取を終え、説明を続行することとしたもので、被告人には、Iから質問依頼を受けたとの認識は全くなかった旨主張するが、同日来訪時のIと被告人とのやりとりについては、原判決が(認定事実)第三の三4において認定するところに誤りはなく、これに合致するI証言の信用できることも、原判決が(弁護人の主張に対する判断)第一の三2において説示するとおりであって、所論は、これと異なる事実関係をいう被告人の公判供述に全面的に依拠して、被告人に同日Iから質問依頼を受けたとの認識はなかった旨主張するにすぎないものであるから、これを採用することができない。

(3) 所論は、八月四日、Iは、通常の陳情と異なり、何ら事前連絡はなく、陳情書等の資料も持参せず、事務理事にすぎないのに一人で来訪しており、被告人としては、国会議員としての経験上、レクチュアのために来室したものと判断したものである旨主張するが、同日来訪時のIと被告人とのやりとりについては、前示のとおり、原判決が(認定事実)第三の三4において認定するところに誤りはなく、右原判決の認定するところからすれば、専務理事であるIが、事前連絡なく陳情書等の資料も持参せず一人で来訪したからといって、被告人においてIから質問依頼を受けたとの認識を有していなかったとみることはできない。

(4) 所論は、八月四日、Iは、何ら事前連絡なく、陳情書等の資料も持参せず、専務理事にすぎないのに一人で来訪している状況について、原判決は、請託ないし陳情の意思をもつ者の行動として不自然ではないと説示するが、当時、本件共廃事業が難航して憂慮すべき事態にあって、真に陳情するのであれば、撚糸工連理事長ら首脳者が陳情書・資料を持参するのが通常であるから、原判決の判断は、国会におけるこの種慣行に著しく反するものである旨主張するが、原判決は、Iの来訪時の状況が請託ないし陳情の意思をもつ者の行動として不自然ではないと判断する理由について、(弁護人の主張に対する判断)第一の四3(三)において適切に説示しており、右説示に誤りはないから、所論は採用することができない。

(5) 所論は、Iは、八月四日の被告人との打合せについて、Mから勧められて稲村議員の議員執務室を使った旨証言するが、議員用の個室を、秘書が議員の承諾を得ることなく、しかも、野党の議員に利用させるようなことはあり得ない旨主張するが、関係証拠によれば、Mは、稲村議員の了解の下に、Iに対し、被告人が商工委員会で一般質疑を行うので、本件共廃事業の実施について質問を依頼したらどうかと連絡し、これに応じて来訪したIを被告人事務室に案内して被告人に紹介したことが認められ、これらの経緯などからすれば、来客のため被告人事務室を打合せに使うことが不都合であると聞いたMが、稲村議員不在の議員執務室をIと被告人との打合せに使うよう勧めたとしても、何ら不自然なことではないというべきである。

(6) 所論は、Iは、二度にわたる被告人側からのレクチュア要請によって被告人による本件質問を知り、従来、本件共廃事業に関してはすべて稲村議員に依存していたことから、まず、八月四日午前一一時五〇分ころ、稲村議員事務室を訪ねてMに会い、被告人側からのレクチュア要請のあったことを話し、これに応じるかどうかをMと話合ったところ、Mは、この時初めて本件質問の情報に接し、これを直ちに稲村議員に報告し、同議員は、急遽、前記T4原紡課長を呼出し、同日午後一時一五分頃来室した同人から、本件共廃事業の作業状況の説明を受け、同人に対し、本件質問につき、局長に撚糸工連のために有利に答弁するよう伝達方指示し、Iは、この時点でOに最初の電話連絡をし、この経緯を伝えた上で、被告人側からのレクチュア要請に応じることの了解を得、同日午後三時五〇分ころ、Mに伴われて、レクチュアのために、被告人事務室を訪れたものであるとみるのが、一連の事実を無理なく説明でき、これがまさに、事態の真相であり、Iの真意である、などと主張するが、MがIに本件質問について連絡し、IがOと相談の上、被告人を訪ねるに至った経緯等については、既に繰返し説示してきたとおりであるから、所論は、根拠に乏しい憶測を混ぜた独自の見解であって、採用することができない。

4  所論は、原判決が(認定事実)第三の四において認定した本件の請託等に関する事実をほぼ全面的に争う旨主張するが、原判決は、右の事実認定に関し、(弁護人らの主張に対する判断)第一の四において説示しているところであり、原判決の事実認定は、右説示するところをも含め、これを正当として是認することができるものであるが、以下の点を補足する。

(一) 所論は、Iは、八月五日午後六時ころ、被告人事務室に出向き、同所で前日に引続き、本件共廃事業の進捗状況につき説明し、その際買上価格に関する協議の状況にも触れたが、被告人としては、その点は福井県工組で受けた説明内容と概ね合致していたので、Iの説明から、本件共廃事業の実施計画にさしたる問題があるとの印象は受けておらず、むしろ、仮より糸の内製化の問題を新たな質問として取入れることとしたものであって、Iからは本件共廃事業の買上価格の問題につき原紡課と計画課の間の協議が難航している旨の説明もなく、被告人としては、Iが切迫した願いを込めて陳情に来たなどとはとうてい考え及ばなかった旨主張するが、同日来訪時のIと被告人とのやりとりについは、原判決が(認定事実)第三の四1において認定するところに誤りはなく、原判決の右認定するところからすれば、Iが被告人に対し本件の請託をしたことは明らかであるといわなければならない。

(二) 所論は、Iが、八月五日の事情説明の時刻につき、午後三時ころであったと証言し、原判決は、これをそのまま採用しているが、被告人は公判廷において、Iの来室は午後六時ころであった旨供述し、H1も同旨の供述をしているのであり、この点につき、Iは、午後六時ころに被告人事務室を訪ねたことを認め、その時の用件は車の手配であるなどと要領を得ない説明をしているのであって、原判決が、特段の判断を示すことなく前記I証言を採用したのは、不当である旨主張するが、原判決は、この点についても、(弁護人の主張に対する判断)第一の四3(四)において説示しているところであり、I証言中所論指摘の点は、前後の経緯等からみて、不自然なものではなく、十分理解し得るものであって、原判決の右説示に誤りはない。

(三) 所論は、八月五日夜の「源氏」での会食は、同月四日及び五日の被告人事務室でのIによる事情説明の延長でしかなく、Oが大阪から上京して出席したのは、国会質問をしてくれる議員に対する表敬という程度の意味でしかないのであるから、そこでの会話は、軽い儀礼的なやりとりにすぎないのであって、真剣な請託ではなく、このことは、設定した場所がホテルの一隅の飲食店であること、Oが遅参していること、送迎車の準備もないこと、Oが翌日本件質問の傍聴もしないで帰阪していること、などからも明らかである旨主張する。

しかしながら、同月四日及び五日の被告人事務室でのIの話が単なる事情説明などではなく、被告人に対し、本件質問をするよう依頼し請託するものであり、被告人がその旨認識していたものと認められることは、既に説示したとおりである上、五日夜の「源氏」での会食時のO及びIと被告人とのやりとりについては、原判決が(認定事実)第三の四2において認定するところに誤りはなく、原判決の右認定するところからすれば、O及びIが被告人に請託し、被告人がその旨認識していたことが明らかであるといわなければならない。その場所がホテル内の飲食店であり、送迎車の準備がないことは、本件の請託がなされたことを否定する事情になるものではない。Oが遅参し、翌日本件質問を傍聴しないで帰阪していることも、関係証拠によれば、同人は、所用のため遅参せざるを得なかったが、是非とも被告人に直接会って質問を依頼したいと考え、事前にIを通じて遅参することを被告人に説明した上、大阪から飛行機で上京していること、また、翌日早々に帰阪したのも所用のためやむを得なかったものであること、などが認められるところであって、これらの事実に徴すると、所論指摘の点は、本件の請託がなされたことを否定する事情となるものではない。

(四) 所論は、被告人の検察官調書中に、「先生の質問では是非この点をお願いします」「お願いして下さい」などの供述記載があるけれども、これらは、IあるいはOが語ったところを、被告人が事情説明の趣旨で聞いて、それを再現して供述したものにすぎず、事情説明の最後に儀礼的に付加したものでしかないから、被告人の検察官調書を請託の事実の証拠とするのは誤りである旨主張するが、原判決が、(弁護人らの主張に対する判断)第一の四2において、被告人の昭和六一年四月一六日付(一三丁のもの)及び同月一八日付各検察官調書につき説示したところに誤りはない。

(五) 所論は、押収されている質疑用原稿(東京高等裁判所平成二年押第一〇二号の四ないし八)に関して、原判決は、質疑用原稿の書込みの内容が、請託の際のI及びOの要望、説明の内容と合致しており、それは、被告人が請託を受けこれに従って質疑用原稿に修正を加えたからであり、被告人は現に、書込み後の質疑用原稿に副って質問していると判示するが、質疑用原稿の書込みは乱筆で判読し難い上、「四、仮より機の共同廃棄事業の進捗状況について」の部分の余白には、POY-DTYの簡単な走書きがあるだけであるから、本件質問の際には、この原稿ではなく、被告人が質問前夜議員宿舎で完成した別の質疑用原稿により質問をしたとみるのが正当であり、また、POY-DTYに関する走書きは、簡単な数字メモにすぎないから、八月五日午後六時ころ、Iからこの件に関し詳細な事情説明を受ける前に書込みをしたとみるのが自然であり、してみれば、右質疑用原稿は、同日午後三時ころ届けられた直後、Iからレクチュアを受ける同日午後六時ころ以前に、被告人が寸暇を惜しんで書込みを加えたものとみられるところであるから、右質疑用原稿の書込みをもって本件の請託の証拠にするのは誤りである旨主張する。

しかしながら、質疑用原稿(同号の六)をみると、買上価格に関し、単に、「この共同廃棄の際の買い上げ価格については、現在の厳しい環境の中で構造改善が円滑に行えるよう十分な配慮がなされたものにすべきと思うがどうか」とあったところに、「前回は簿価の三倍の方式がとられた」との書込みが加えられており、また、実施時期については何ら記載がなかったところ、「時期の問題-業界側では年内実施を目途に作業は進んでおります。県の負担分を決める九月議会の補正に間に合わせる」との書込みが加えられている。右質疑用原稿は、通産省生活産業局担当者が作成して、八月五日午後、被告人に届けたものであり、右の書込みは、それ以降に被告人が行ったものであることは、関係証拠により明らかなところである。そして、Iが同月四日午後四時前ころ及び同月五日午後三時ころ、I及びOが同日夜、被告人に対し陳情し請託したこと及びその内容は、原判決が(認定事実)第三の三4、第三の四において認定するとおりであるから、右の書込みは、I、Oが陳述し請託したところの撚糸工連の要望に合致しており、これを取入れた内容のものになっていることが明らかである。

被告人は、右書込みの内容について、主として、通産省当局及び福井県工組の加藤敏雄専務理事らから聴取したところに基づくものである旨供述するけれども、通産省原紡課のT5課長補佐は、同月四日午後四時四五分ころから被告人事務室で質問取りを行った結果について、「(被告人の質問内容は)仮よりの共同廃棄の事業についてのご質問であるということだったというふうに記憶しておりますが、印象といたしましては、こまごました質問をなさるということであるような印象は残っておりません。共同廃棄事業についての進捗状況とか、あるいは、行政庁としてどういうふうに考えているかというような程度のものだったというふうに理解しておりす」と証言し、実施時期の点については、質問取りの際には被告人から言及がなかった旨証言し、現に同人が中心となって作成した答弁資料には、実施時期にかかるものは存しない。また、加藤専務は、被告人に対して右書込みのような具体的な内容の説明をしたことはなく、特に、被告人が公判廷において、七月三〇日に福井県工組の事務所を訪れ、本件質問の準備として加藤から説明を受けたと供述している点については、そのような事実はない旨明確に供述しているところであり、同県工組の副理事長であった川崎巖及び山田仁治、理事であった河合重治も、一致してこれと同様の供述をしているところであって、被告人の右公判供述は措信することができない。

そうすると、右質疑用原稿は、本件の請託に関するI証言及びO調書を直接に裏付ける有力な証拠であるということができるから、所論は採用することができない。

(六) 所論は、押収されているカセットテープ一巻(同号の八六)に関して、原判決は、Oらの請託により被告人が質問内容を修正したことを推認させるものであるとするが、右カセットテープに録音された被告人の発言は、Oの顔を立てた単なるほめ言葉と、被告人がレクチュアを受けて自分の質問の参考にしたという事実を述べた発言であるにすぎず、政治家一流の社交辞令として聞流して済む程度の意味しかもたないから、右カセットテープに録音された被告人の発言をもって本件の請託の証拠とするのは誤りである旨主張する。

しかしながら、原判決は、(弁護人らの主張に対する判断)第一の四2において、右カセットテープ、被告人の公判供述によると、被告人自身、一一月一二日の日本撚糸会館落成、撚糸工連創立三〇周年記念祝賀パーティに来賓として招かれて挨拶をした際、本件質問について触れ、「明日質問するちゅう時に、O理事長、わざわざ飛行機でお出でいただきまして、そして、明日これとこれと聞けと、こういうことでございまして、質問が出来上がった後でございましたけれども、これを修正した」と述べているのであって、かかる被告人の発言自体、被告人が、I及びOから本件の請託を受け、これに従って、前記質疑用原稿に修正を加えたという推認を裏付ける証拠価値を有することは明らかであると説示しており、右説示は正当であるといわなければならない。

五  第一回目の現金授受に関する事実誤認の主張について

所論は、原判決が(認定事実)第三の六1において認定した八月五日の飲食店「源氏」における第一回目の現金授受に関する事実を全面的に争う旨主張する。

しかしながら、原判決は、右の事実認定に関しては、(弁護人らの主張に対する判断)第一の五において補足的に説示しているところであり、原判決の右の事実認定は、右説示するところをも含め、これを正当として是認することができるものであるが、以下の点を補足する。

1  所論は、第一回目の現金授受の場所とされる「源氏」は、ホテル一階にある飲食店(レストラン)で、外部からガラス越しに店内の様子が見通せ、内部は椅子席で、客や従業員の出入りの多い店であり、供与を拒絶されて、押問答となるなどの事態のあり得ることも考慮すれば、原判決が、O及びIが「源氏」において現金一〇〇万円の賄賂を供与したものと認定したのは、極めて不自然な認定である旨主張する。

しかしながら、関係証拠によれば、「源氏」の構造、位置関係からみて、Iが予約した席は、窓際とはいえ、外部からの人目が気になるような場所ではないことのほか、O及びIは、時間的にみて店内が立込むことはないと考えており、現金授受当時、O及びIの周囲はもちろん、店内には殆ど客がいなかったこと、また、O及びIとしては、本件の請託の話は、稲村議員側からもたらされたものであって、事前に同議員側において根回しがなされているものとの認識を持っていたのであり、Mに対して被告人への謝礼金額についてまで相談し、「源氏」の予約もM名で行っているほどであるから、O及びIが、供与を拒絶されて押問答となるなどの事態を考慮しなかったとしても、格別不自然ではないこと、現に、現金一〇〇万円は事務用の白無地封筒に入れられ、その授受も短時間に行われたこと、などが認められるのであって、これらの事情に徴すると、O及びIにおいて「源氏」を現金授受の場所に選んだことが、不自然、不合理であると断ずることはできない。

2  所論は、Iは、現金入りの白封筒をOにテーブルの下で手渡し、Oがそれを受取って中を改めた上で、中腰で立ち上がり、被告人に対しお礼の気持ですと言いながら両手で差出し、被告人がこれを受取り、着用していた背広のポケットに納めた旨証言するが、右は不合理であり、被告人の公判供与及びO証言と異なるもので信用できない旨主張するが、Iの右証言は、何ら不自然でも不合理でもなく、これと合致するO調書とともに、十分に信用できるものであり、これと異なる被告人の公判供述及びO証言は措信することができない。

3  所論は、その他、現金一〇〇万円を事務用の白無地封筒に入れて供与したというのは非礼であり、それを真夏日に持ち歩いても形が崩れなかったというのは不自然であるなどと、八月五日の「源氏」における第一回目の現金授受の状況に関するI証言の信用性を縷々論難するが、いずれもI証言の信用性を否定するに足りるものではない。

4  所論は、O及びIが稲村議員に対して供与したとされる現金五〇〇万円については、それなりの経理処理がなされているのと対照的に、O及びIが被告人に対して供与したとされる現金二〇〇万円については、何ら経理処理もなされていない上、被告人に対して供与したという現金二〇〇万円について、Iが、ノート類に記載していたとか、裏金を原資別に区分けしていた袋に記載していたかのように述べる証言は、曖昧であって一貫せず、措信し難いほか、昭和六一年三月三〇日ころ作成された政治家絡みの献金リストには、稲村議員に対する五〇〇万円の記載はあるが、被告人に対する記載は一切なく、さらには、Oが昭和五九年か六〇年ころ、五七年中の献金の記憶を整理した時、稲村議員の名は入っていたが、被告人の名は入っておらず、また、昭和六一年三月一五日の参議院予算委員会において取上げられた、撚糸工連から政治家に対する献金額を記載したと見られるリスト中に、稲村議員の名は存するが、被告人の名は存しないなど、被告人が収受したとされる二〇〇万円については、その使途も含めて、その存在を示す物的な痕跡が全く見当たらないのであって、原判決が、それにもかかわらず、かつ、それに代わるべき情況証拠も存しないにもかかわらず、I証言等の信憑性の薄い供述証拠のみによって、被告人が合計二〇〇万円の現金を収受したものと認定したのは、事実誤認である旨主張する。

しかしながら、当時、撚糸工連において裏金が存在していたことは、Dの証言等により裏付けられているところであり、I証言及びO調書の信用性の高いことは、原判決の説示するとおりであり、また、本件を裏付ける様々の情況証拠の存することも、既に説示してきたとおりであるから、その余の点について触れるまでもなく、所論は採用することができない。

5  所論は、Iが、八月五日、被告人事務室を退出する際、H2秘書も「源氏」での会食に招待したという事実があり、この事実は、被告人の公判供述及びH1証言によって明らかであって、これによると、Iらの証言する「源氏」での現金一〇〇万円の供与とは両立し難いものである旨主張して、これと異なる原判決の証拠判断を論難するが、右の事実関係については、I証言がこれを否定しているところ、既に説示してきたとおり、八月五日の状況に関するI証言及びO調書の信用性が高く、これと異なる被告人の公判供述の信用し難いこと、また、H1証言にも、後記説示の問題点のあることなどに徴して、原判決が、この点について、(弁護人の主張に対する判断)第一の五3において説示するところは、正当として是認することができるものである。

6  所論は、その他、八月五日の「源氏」における現金一〇〇万円の収受に関する原判決の事実認定を争い、種々の主張をするが、いずれも、原判決の右事実認定を左右するに足りるものではない。

六  第二回目の現金授受等に関する事実誤認の主張について

所論は、原判決が(認定事実)第三の五において認定した八月五日の犯行後八月一〇日の犯行に至る経緯に関する事実の一部を争い、第三の六2において認定した八月一〇日の第二回目の現金授受に関する事実を全面的に争う旨主張する。

しかしながら、原判決は、右(認定事実)第三の五の事実認定に関しては、(弁護人らの主張に対する判断)第一の六において補足的に説示し、(認定事実)第三の六2の事実認定に関しては、(弁護人らの主張に対する判断)第一の七において説示しているところであり、原判決の右の事実認定は、右各説示するところをも含め、これを正当として是認することができるものであるが、以下の点を補足する。

1  所論は、被告人の公判供述は、H1、U及びCの各証言等の関係証拠により、十分に裏付けられているものであり、また、右各証言は、相互に合致しており、その記憶喚起の過程にも不審な点はなく、殊に、H1証言は、多くの裏付け証拠がある一方、同証言と異なるFI(以下「F」という。)証言は、明らかに虚偽のものであり、C証言は、E証言によっても裏付けられているものであるから、右被告人の公判供述及びH1、U、Cの各証言の信用性は高いというべきであるのに、原判決は、いわゆる身内の者の証言の信用性が低いという一般論にとらわれた上、公判証言は証人が独力で想起したものでなければ信用できないと速断するなどした結果、これらの供述及び証言の信用性の判断を誤ったものである旨主張する。

そして、所論指摘のとおり、公判廷における被告人は、「O及びIが八月一〇日正午前ころに被告人事務室を訪ねて来たことはあったが、被告人が秘書室まで出て行き、その入口ドアのところで本件質問の礼などの挨拶を受けただけで帰ってもらっており、現金は受取っていない」旨の供述をし、H1及びUは、被告人の右供述と同旨の各供述をし、また、Cは、「そのころ奥の議員執務室に入ってきた客はいなかった」旨の供述をしており、これら供述及び証言の詳細は、原判決が(弁護人らの主張に対する判断)第一の七3(一)(1)ないし(4)において摘記するとおりであって、いずれも詳細、克明にして、相互に合致しているものである。

しかしながら、以下に説示するとおり、被告人、H1及びUは、いずれも、捜査段階では、これと大幅に異なる供述をしていたものであるところ、公判段階に至り、Cとともに、一致して、右のような各供述をするに及んでいるのであって、各供述を変更するに至った理由について、いずれも合理的な説明を欠いており、同人らにおいて、O及びIが来室した状況について口裏を合わせたことが窺われ、真に記憶しているところを公判廷で供述しているのか疑わしいものである上、信用性を肯定することのできるF及びEの各証言と対比しても、看過することのできない相違点が存するものであって、被告人の公判供述、H1、U及びCの各証言は、いずれも信用することができないものといわなければならない。

(一) 関係証拠によれば、捜査段階においては、被告人は、

「八月一〇日正午前ころ、O及びIが被告人事務室に来た」旨の供述をしながら、「議員執務室にCがいた」「O及びIには入口ドア付近で立ち話をしただけで帰ってもらった」との点については、何ら供述をしておらず、また、H1及びUは、いずれも、同日の出来事についての記憶は、曖昧であるとした上で、H1は、「同日の行動について、前日に死亡した秘書のH2の通夜の手伝いをするため、午前一〇時ころに議員会館を出ており、当時不在であった」旨の供述をし、Uも、「同日は、被告人事務室で電話番をしていたと思うが、どんな来客があったかは覚えていない」旨の供述をしていたことが認められる。

しかるに、被告人らが、前記のとおり、一致した公判供述をするに至った理由についてみると、被告人は、「取調を受けていた当時、Cが室内にいた記憶はあったが、話題とならなかったので、話さなかった」などというものであり、H1は、「昭和六一年五月に被告人が起訴された後、本件八月一〇日の出来事について、記憶の喚起に努めたが、記憶が甦らず、同年九月ころのゼンセン同盟事務所での話合いの席でも、思い出さなかったが、同年一一月に、I及びOの法廷を傍聴し、実際に両名を見て、初めて記憶が明確に喚起された」などというものであり、そしてUは、「その後、真剣に思い出した」というものであって、いずれも、供述を変更するに至った経緯において、不自然、不合理な憾を免れないものである。

しかも、被告人らにおいて、O及びIが来室した状況について、被告人が、右両名に対し、廊下に面した入口ドア付近で立ったまま挨拶を受けただけで、そのまま帰ってもらった旨、一致して供述する点については、右両名が撚糸工連の理事長及び専務理事であり、被告人が右両名から数日前に夕食の接待を受けていたこと、右両名が本件質問の礼を述べに来たものであること、などに徴すると、誠に不自然であるというべきであり、さらに、公判廷で現金の授受を否定するに至ったOにおいてすら、議員執務室にまで入ったことを明確に証言している点を併せて考慮すると、たやすく信用することのできないものがある。

加えて、関係証拠によれば、被告人、H1、U及びCの四名は、本件公訴提起当時から、八月一〇日の出来事について、話合っているほか、昭和六一年九月二三日には、ゼンセン同盟福井支部事務所に集まり、本件公判に備えて、数時間にわたり、前記八月一〇日の出来事等について話合われたことが認められ、殊に、O及びIが来室した状況については、Uは、「右話合いの席で、八月一〇日午前中に二組の来客があり、内一組は二人連れの中年の男であったとの話を持出すと、被告人が、それがO及びIだと話した」などと供述しており、また、被告人は、「右話合いの席で、H1は八月一〇日にO及びIが被告人事務室に来たのをよく知っていた」などと供述しているのであって、右話合いの席において、八月一〇日のO及びIが来室した状況についても確認し合ったことが認められるところである。この点について、Cは、「自分以外の者の発言内容は一切覚えていない」旨供述しているが、右話合いの席の状況等に徴して、甚だ不自然であるといわざるを得ず、同人には、確認し合った点についての供述を避けようとする意図が窺われ、また、H1は、前記のとおり、右の席では当時の状況を思い出さなかった旨の供述をしているが、これは、同人なりの思惑から、同人の記憶喚起が右話合いとは無関係であるとして、同席で確認し合った点について触れまいとする意図が窺われるところである。

また、当審証人のS(当時、ゼンセン同盟調査部長)は、右話合いの席に同席して、話合いの内容をメモして上司に報告した旨証言しながら、O及びIが来室した件は、話題となっていなかった旨供述するが、この点は、前記被告人らの各供述とも明らかに整合せず、そのため、却って、右の件について確認し合ったことを、殊更回避しようとする意図が窺われるものといわざるを得ない。

したがって、このような事情に徴すると、八月一〇日の出来事、殊にO及びIが来室した状況については、被告人、H1、U及びCの四名において、口裏を合わせた可能性を否定することができず、いずれも、公判廷で真に記憶しているところを供述しているのか疑わしいといわなければならない。

(二) 所論は、H2の姉Fの原審及び差戻前控訴審における各証言(以下「F証言」という。)の信用性を争うが、Fは、H1の行動に関して、八月九日から同月一一日までの三日間の出来事を十分に区別した上で、右三日のいずれの日にもH1と会っている旨、原審及び差戻前控訴審を通じ、一貫して明確に供述しており、その内、一〇日のH1の行動に関しては、原判決が(弁護人らの主張に対する判断)第一の七3(二)(2)において摘記するとおり供述しているほか、H1の同日最初の来訪が平服で、昼前後ころであったとする根拠については、最初に見かけた際の状況、その時受けた印象、その前後ころのF自身の行動、関係者の来訪時刻との前後関係等の事実を、具体的に挙げて供述しており、また、H1が議員会館に戻り喪服に着替えた後再度来訪したものと思う理由についても、当日自ら見聞した事実、後日母親から聞いた事実、それらから推測した事実等を、それぞれ区別して具体的に供述しているところであり、その全体を通じて、弁護人の詳細な反対尋問にも動揺するところがなく、明確で一貫したものであって、供述内容において、作為的、不自然、不合理な点が何ら存せず、その信用性は高いといわなければならない。そうすると、「H1は、八月一〇日の午前九時ころから午後三時ころまでの間は議員会館にいたのであり、同日昼前後ころにH2方に赴いたことはない」旨述べる被告人の公判供述、H1、U及びCの各証言には、いずれも信用することのできないものがある。

所論は、F証言中、八月一〇日にH1がH2方から議員会館に戻り再度H2方に赴いたとする点について、著しく不自然、不合理である旨主張するが、第一秘書H2の突然の死亡という異常な事態、在京秘書として独りとなったH1の立場等を考慮すれば、H2の通夜を控えた同日の昼間に、H1が同じ都内にあるH2方と議員会館の間を往復したとしても、何ら不自然、不合理なことではないとみるべきである。

所論は、F証言の核心部分は母親からの伝聞であり、しかもそれを聞いたのが原審証人として出廷する数日前であるから、信用性に疑問がある旨主張するが、Fが後に母親から聞いたと証言するのは、「H1が母親との会話の中で、議員会館で着替えてくると言っていたということを、母親から後で聞いた」という点であって、その余の点、殊に、F証言の核心部分たる「八月一〇日昼前後ころ、H1がH2方に来た」という点は、Fの直接見聞きしたところであって、伝聞に当たらないことが明らかである。

また、O調書中には、八月一〇日に被告人事務室に赴いた時、「部屋に入るとたしか女の秘書の方がいましたので、挨拶しました」旨の供述記載があるが、Oは、それがH1であると供述しているのではなく、関係証拠によれば、前日来、他の議員秘書らが被告人事務室に手伝いに来るなどしていたことが窺われるのであって、八月一〇日にOが被告人事務室に女性秘書がいるのを見たとしても、H1が在室したことの根拠となるものではないから、O調書の右供述記載は、F証言の信用性を左右するものではない。

(三) 所論は、福井新聞記者の前記原審証人E及びCの各証言、Eの送稿した記事の内容等からすると、Eが、八月一〇日に被告人事務室で被告人から直接取材していること、Eが、被告人事務室で被告人の紹介でCに一度だけ会っていること、Eが被告人の紹介でCに会う機会は、昭和五六年春か本件八月一〇日のいずれかであること、などが明らかであるところ、被告人とCは、八月一〇日に被告人事務室で被告人がCをEに紹介した旨、それぞれ供述しており、これを否定できる具体的な資料はなく、昭和五六年春にEが被告人の紹介でCに会ったという確証はないのであるから、Eが被告人の紹介でCに会ったのは八月一〇日被告人事務室においてであることは、ほぼ確実に推定できるところであるにもかかわらず、原判決が、右推定に合致する被告人及びCの各供述を安易に排斥して、右両者の出会いが八月一〇日以外の日の可能性もあると説示するのは、証拠判断を誤ったものである旨主張する。

この点に関するE証言は、原判決が(弁護人らの主張に対する判断)第一の七3(二)(3)において摘記するとおりであり、要するに、「議員会館の被告人事務室でCを紹介されたことが一回あるが、それはカーペット状のものが敷かれていた奥の議員執務室であった。Cに会ったのとH2死亡の取材をしたのとは、記憶が全くつながらない」旨のものであり、E証言がその具体性等に徴して十分に信用できることは、原判決の説示するとおりである。そうすると、Eが、被告人事務室において、被告人からCを紹介されたという事実の存することが認められるとともに、少なくとも、Cが奥の議員執務室から秘書室に出てきてEに挨拶した旨述べる被告人の公判供述及びCの証言には、いずれも信用することのできないものがある。

なお、右紹介の時期については、E証言によると、東京支局に勤務中の昭和五六年二月から昭和五九年二月までの約三年間内であるところ、所論は、右期間内にCが上京したのは、<1> 昭和五六年春リュウマチ治療のとき、<2> 八月一〇日前後のH2の通夜・葬儀出席のとき、<3> その後のH2の四九日法要のとき、の三回であり、<2>のときしかEと挨拶をする機会がなかったから、右紹介は八月一〇日に行われたものである旨主張する。しかし、そもそもCが右三年間に<1>ないし<3>の三回しか上京していないという所論自体、C、被告人、H1の各供述以外にこれを根拠付けるものがなく、しかも、この点に関するC証言は、記憶の曖昧な点があり、被告人の公判供述も、C証言以上のものではなく、そして、H1証言は、この点についてはごく断片的なものでしかない。この点について、当審における事実取調の結果を考え併せても、昭和五六年二月から昭和五九年二月までの間に、Cが、所論の三回しか上京していないことについて、これを首肯するに足りる根拠を見出すことは困難である。

そうすると、被告人がEにCを紹介した日について、これを八月一〇日であると断ずることはできないといわなければならない。

(四) なお、関係証拠によれば、ゼンセン同盟の機関紙であるゼンセン新聞昭和六一年五月八日付号外には、宇佐美ゼンセン同盟会長の談話として、「O及びIが被告人事務室に来訪した八月一〇日は、秘書のH2が死亡した翌日であり、被告人事務室は弔問客等でごった返しており、議員執務室にはCがいたという状況であったため、O及びIには、入口ドア付近で立ち話をしただけで帰ってもらった」旨の、被告人の公判供述に合致する記事が掲載されたことが認められる。

しかしながら、同紙編集長である当審証人阿部忠信の証言等関係証拠によれば、右記事は、ゼンセン同盟関係者らに対する被告人自身の弁明に依拠したものと認められるものであるから、右記事が直ちに、被告人の公判供述の信用性を担保するものとはいえず、被告人の公判供述の内容が真実か否かは、別個に検討されるべき事柄であって、この点に関する被告人の公判供述、H1、U及びCの各証言が、いずれも信用することのできないものであることは、前記(一)ないし(三)において、既に説示したとおりである。

2  所論は、本件共廃事業は、本件質問当時既に、これを実施することが決定され、後は細部の詰めを残すのみという段階に至っていたのであって、本件質問とS局長の答弁は、行われるべくして行われた質問と答弁にすぎないというべきである上、本件質問の成果は質問と右答弁により直ちに現われたわけではなく、その真の評価は、爾後における具体的な進捗の結果を待たなければ決せられないことであったのであるから、O及びIが、その後の当局側の動向を見極めることなく、本件質問後直ちに、本件質問に対する謝礼として現金一〇〇万円の賄賂の供与についてまで謀議し、実行するというのは、余りに時期尚早であり、短絡的である旨主張する。

しかしながら、本件質問当時における本件共廃事業の進捗状況については、前記四2(一)(二)において説示したとおりであって、同事業が前回並みの買上価格による年内実施という撚糸工連の希望に副って実施されるかどうかは、なお予断を許さない状況にあったのであり、そのような状況下になされたS局長の答弁は、特に買上価格と実施時期について具体的な目処を提示した点において、事前に準備された答弁内容よりも踏込み、今後の作業の方向を決定付けたものとして、明らかに撚糸工連に有利な内容のものであったのである。また、関係証拠によれば、S局長の右答弁を引出すについて、稲村議員の果たした役割を軽視することはできないとしても、S局長が右のように撚糸工連に有利な答弁をするに至ったのは、Oらの依頼の趣旨に副った被告人の本件質問があったからであって、被告人の本件質問が果たした役割には大きなものがあったというべきである。

そうすると、原判決が(弁護人らの主張に対する判断)第一の六2において説示するとおり、O及びIの両名が、被告人に感謝の念を抱き、本件質問後直ちに、本件質問に対する謝礼として第二回目の現金一〇〇万円の賄賂の供与を謀議し、これを実行したことは、もとより首肯することができるところであって、何ら不自然、不合理なことではなく、また、時期尚早でも、短絡的でもないから、所論は採用することができない。

七  結論

以上のとおりであって、原判決には、所論主張にかかる公訴提起の無効、訴訟手続の法令違反等はなく、また、I証言及びO調書フ信用性を肯定し、これと異なる内容の被告人の供述等の信用性を否定して、I証言及びO調書と関係証拠を総合して本件公訴事実に副う事実を認定した原判決には、所論主張にかかる事実の誤認はなく、被告人につき受託収賄罪が成立するとした原判決の判断は正当であるから、論旨はいずれも理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、差戻前控訴審における訴訟費用については、同法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中山善房 裁判官 鈴木勝利 裁判官 岡部信也)

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